どうすれば?と答えと技術(テクニック』を求め彷徨うのは誰しもが陥る一つ目の落とし穴。
その落とし穴にて彷徨うのは80年の養育と教育が『所有と獲得』がターゲットとされ、真理に辿り着く重みを学ぶ機会を逸して成人することに寄与する点が大きい。
その答えが見つからないとき、人は苦しい。その苦しみは、誰かを非難し自らを肯定する事で得られる束の間の安らぎとなり、その甘美な陶酔に陥り歩みが止まる。それがが二つめの落とし穴。
この落とし穴の存在に気がつけないひとは、結局自己愛の奴隷であることを認めているようなもの。
つまり,その人の(子どもを救いたいとする)利他は利己(自分が楽になりたい)を満たすための利他であり、その実利己である。
自分の射程からしかモノを見れないままだと、誰かを包摂するのは難しい。なぜなら利己が包摂するのはあなた自身だけだから。
その利己的態度が人の心を大きく動かすことはない。
心に留めるべくは利己を形成するのはその人の価値観、すなわち愛の質であるということ。
そして、利他の地平に存在するひとが多いことを器と呼ぶ。
これら落とし穴から這い出、わが子(苦しむひと)の目線で物事を見る姿勢を得られた時に『親育ち=人としての成長』ははじまる。
この真理に辿り着けたとき、苦しみから救われるのは他ならぬ貴方(親の方)。
その救済を得た貴方に包摂された時、わが子は希望を持つという事実がある。
「どうしてこの子は?]
ではなく、
『自分はどうであったか?』の視座の転換なくして道は開かれない。
今日という日が、あなたの利他に一歩でも近づける1日となりますように。
桝田智彦
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