「どうせならば、幸せなひきこもり生活を」。

久々のブログとなりました。

 

この仕事をしていると、人間というものは本当に多種多様な経験を経て価値観というものが出来上がるものだと感じます。

多種多様である一方、親は2種類に分かれるものだとも思います。

 

 

その2種とは何か?

それは「子どもに生じた問題をわが事(自分事)と考える親」と「子どもに生じた問題は子どもがどうにかする・誰かにどうにかしてもらう(他人事)と考える親」です。

 

どちらの親も、そのまた親(子どもから見れば祖父母)から与えられた養育経験がベースとなっていると思われます。

 

どちらにせよ知らぬ間、無意識のうちに養育形式というバトンを継承しているものです(もちろん、テーマとして自覚している方は反面教師にしたりもします)。

 

 

恐ろしいのは、無意識・無自覚・知らぬ間に継承しているため、多くの場合、親であるご本人は自分の養育方法を「普通」「当たり前」だと思い込まれている点です。

 

もちろん、親子共々に人生が上手くいっている場合は気がつかなくても問題ないとも思います。

 

一方で、ひきこもり・不登校・心の病気など子どもに生じたピンチの際というのは「養育を見直してみる絶好の機会」だと思うのです。

 

 

子どもが望んでひきこもり・不登校・心の病気になるわけではないのです。一夜にしてそうなるわけでもないのです。

 

大概の場合、わが子は一人悩み、親やみんなに迷惑をかけないようにと健気に頑張り続けた結果今にたどり着いているのです。

 

それを「子どもに生じた問題は子どもがどうにかする・誰かにどうにかしてもらう(他人事)と考える親」の下にいる子は、良い支援者や治療者に出会えてその時(ターム)は回復できたとしても、孤独に背負いこみ・自分が悪いと考える思考や認知は変わらずにその後の人生も同様に歩むことが多いものです。

(実際に、ひきこもりの方々は不登校経験を有することが多い)

 

 

では、「子どもに生じた問題をわが事(自分事)と考える親」の場合はどうでしょう。

まず、第一に言えるのはその子は「孤独ではない」ということ、「悪いのは自分(だけ)ではない」と思える可能性があること、ピンチの際には頼れる人がいるので「助けてといえれば未来や自分は変わっていくという希望」を持てるようになることなどがあげられます。

 

そして、親自身が自分事として受け取れた場合、わが子の苦しみの中に自分を見ることがあるものです。

つまり、子どもの生きづらさの解消が、親自身の生きづらさの解消になっていくことも多々あるものです。

 

 

我々がお伝えしている親育ち・親子本能療法には「親育ち」という言葉ついているのは、こんなことも関係しているのです。

 

あるお母さんがこうおっしゃいました。

 

「当初、わが子がひきこもってしまって、大変なことになった。どうしよう!わが子の人生は?この子の未来は?ずっとひきこもっていたらなんて思ってましたが、苦しいのはわが子。困っているのは誰なんだって話ですよね(笑)。

今は、どうせならば幸せなひきこもり生活を送ってもらえたらと思うんです」。

 

一見、子どもに生じたネガティブに見える事象を親が共に引き受けてみた時、「誰の問題視なのか、誰が感じている苦しみなのか。そして、わが子の幸せとはなんなのか」そんな事に気がつかせてくれたりするものです。

 

色々と申し上げました私ですが、子育てをしながら(父親としての)自分の愛が、息子の糧になっているか日々見直しております。

 

子育ては親育てとはよくいったものですね。

 

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桝田智彦(ますだ ともひこ)

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